活動報告

2004年 2月 3月 4月 5月(最新) 2003年(後半)

2004年2月

 1日 街頭署名 横須賀中央駅前 署名者数55筆

2004年最初の街頭行動日。約20名(横浜から駆けつけてくれた会員を含めて)が参加し、バンジョウの演奏も加わり、にぎやかに行なわれました。原子力空母の配備が取り沙汰される2008年まで残すところ5年を切り、初心に返り、配備反対の意思を確認し、表明していきたいと思います。

 1日 例会 ヴェルクよこすか 参加者17名

◆報告事項

●03年11月発行のパンフレット『危険な原子力空母の母港をとめよう』は、好評につき増刷しました。いろいろな機会を捉え、一人でも多くの人に原子力空母の危険性を知ってもらうよう宣伝してください。

◆検討したこと

● 12号バースの工事着工に伴い、市長・県知事などへの要請事項を絞り込むために、リニューアルを検討している署名用紙、ビラのたたき台が出来上がり、意見をだしあいました。「いかにアピールできるか」を考えて、侃侃諤諤の意見の飛び交う検討会でした。リニューアルは4月を目標にしています。出来上がりましたら、再度、皆様のご協力をお願いいたします。

29日 「ビキニ50周年水爆被災市民のつどい in 三浦」 参加人員400名

(主催:神奈川平和運動センターなど) 

前田哲男氏の講演、地元関係者や森田喜一氏の証言のあと、終盤、原子力空母・市民の会の活動について呉東弁護士が報告、運動への支援を呼びかけました。パンフレット、ビデオの販売コーナーも設けていただきました。

かつてマグロ水揚げ日本一を誇った三崎港の旧魚市場は、現在は市民ホールなどを併設した施設に生まれ変わり、「うらり」という愛称もつけられて健在でした。つどいの日は冷たい雨の中、遠方からたくさんの人が集まりましたが、市民の方々の参加も多く、50年前の惨事を繰り返させたくないという真情が汲みとれました。三崎の場合、水爆被爆というとマグロの被爆に目がいきがちですが、漁船員の被爆も相当数あったということは、あまり知られていませんでした。まだまだ、明らかにされていない部分も多いと考えられますが、あの惨事を忘れることなく、今後も原水爆禁止の行動に結び付けて行く必要があるのではないでしょうか。

 

2004年3月

 4日 横須賀市との交渉・・・12号バース工事問題ほか。参加者6名

 7日 街頭署名(京急横須賀中央駅前) 参加者10名 

署名行動開始30分後、雪が激しくふり始め、町行く人を呼び止めて署名をしていただく状態ではなくなり、やむなく中止。来月は晴天になりますように。

 7日 例会 参加者15名

署名用紙のリニューアルに向けて最後の検討をしました。デザインもほぼ決まり、4月初めから第二次署名運動を開始する予定です。皆様のご協力をお願いいたします。

2004年4月

 11日 街頭署名(京急横須賀中央駅前) 参加者多数

第二次署名開始後、初めての街頭行動のため、たくさんの方が参加しました。
参加者からは若い人、年配の戦争を経験した方の反応がよかったという感想がよせられました。報道各社のご協力にも感謝します。NHKの午後8:45からのニュースや4/3日の新聞にも取り上げられました。母港化が予想される2008年まで残すところ約4年。関係各位に支えられて、地道な運動を展開していかなくてはなりません。皆様の熱いご協力・ご支援をお願いいたします。

 11日 例会 参加者多数

署名運動を広げるためのアイデア

  1. 町内会へ拡大する。
  2. 市内だけに限らず、広範囲な活動を計画する。例えば、空母の母港化反対をテーマにしてコンサートを開くなど。
  3. 労組や関係団体にお願いして、機関紙に記事や広告を掲載する。
  4. 市民の会は個人会員で構成されているが、会員の属する組織、今まで署名を寄せてくれた団体などにも、あらためて署名をお願いする。

 

2004年5月

 11日 緊急街頭署名(京急横須賀中央駅前) 参加人員20名・報道各社多数

4月26日の外務大臣に対する市長の「後継艦も通常型空母で」の要請を踏まえて行いました。若い世代・母親世代の反応がよく、参加者の気分は盛り上がりました。まだまだ市民の関心を引き出すところまではいっていませんが、この結果は今後の行動に示唆を与えてくれました。

  7日 ニュース号外発行

 19日 街頭宣伝車巡回

池上方面を重点的に巡回。原子力空母の母港化の危険性と、沢田横須賀市長の外務省への「後継艦も通常型で」という要請をバックアップできる市民の声を届けられるよう署名への協力を訴えました。
(参加者2名)
 23日 街頭署名 横須賀中央駅前 参加者20名
諏訪神社の祭礼と重なり、見物客で溢れかえる目抜き通りで宣伝をしました。
祭りの見物客の署名への関心は高くはありませんでしたが、大勢の人々の耳に、私たちの声が届いたと思います。
 23日 例会 ヴェルクよこすか 参加者20名

運動が全国的に発展する時期になり、私たちは横須賀の町に浸透するような運動の組み立てをする必要があります。新しい参加者を掘り起こし、運動を活気づける方策が検討され、いろいろな集会などの場を活用することになりました。

 30日 「原子力空母横須賀母港化を許さない全国連絡会」が結成されました。

記念講演の中で梅林宏道氏はつぎのように述べています。「アメリカは太平洋地域に空母2隻体勢の維持を計画し、1隻は横須賀、もう1隻はハワイかグアムという目論みだが、ラムズフェルドは会見の中で、“歓迎されない所には配備しない”と語っている。横須賀配備を阻止できるとすれば、これからの運動がどのように展開できるかにかかっている」

困難な目標とはいえ、配備を阻止できる可能性はまだまだ残されています。

集会には、空母の会も参加し、ビデオ・パンフレット・紙袋(はぜママ+原子力空母はいらないの図案)などを販売しました。参加者には署名用紙が配られ、署名の全国展開への一歩を踏み出しました。

* 街頭署名のほか、生協など団体・組織への要請行動も並行して行なっています。皆様の署名へのご協力をいただき、ぜひともこの運動を成功させたいと思います。

 

2003年(後半)

もどる